「登校できない」というサインを出す子どもには、いわゆる「背のびしているよい子」が多いようです。
「背のびするよい子」というのは、自分のことは自分ででき、手のかからない、周りの人によく気のつく子、大人の言うことをよく聞く子、あるいは模範的で、しっかりしており、頑張る子であったりします。
このような「背のびするよい子」は、もともとのその子の性格傾向として、内気であったり、神経質であったり、几帳面であったりしますが、そのように「よい子」として育つ家族関係であったり、そういう性格傾向がさらに強化されるような社会的な生活環境に置かれしまっていたことが多く見られます(背のびしているよい子に詳述)。
その子にとっては幼少期に受けた両親からの愛情が充分なものでなかったり、自分が充分に満たされるだけの人とのかかわりを家族をはじめとする人間関係においてもてなかったり、他者とのこころのキャッチボール(情緒的交流)が乏しいものであったりなど、ケースによって実に様々です。
もちろん親はその時期においても、一生懸命に子育てをしてきた結果としてそうなのだから、決して誰がこうだからこうなったというものではないはずです。
「よい子」は、そのうち成長するにしたがって「自分の気持ちを外に出さない(出せない)」「ひとつのことにこだわり、融通が利かない」「何事にも完璧を求めてしまう」など、年を追う毎に自分の感情をコントロールするようになり、やがて数年間もこのような感情の無理なコントロールが続いてそれは破綻を来し、「学校」のような多くの仲間の生活する複雑な人間関係のなかには「登校できない」状態として露呈していることがあります。
このような意味から言えば、ようやく学校を休めるようになったとも考えられるわけです。
自分が自分らしい人生を送るための入場券、安全弁、危険信号として、ようやく登校できないサインを出せたとも考えられます。
さらには、学校に行かない状態は、自分の気持ちを言葉にしてうまく伝えられない「よい子」が、ようやく自分の中にあるドロドロした「よくないもの」にも目が向けられるようになったとも言えるでしょう。
「登校できない」という状態は、周りの大人たちへの「無言の反抗」ともとらえることもできるわけです。