親との面談について、教師から持ち込まれる相談には、
「親がすごく過干渉で、口うるさく言い過ぎ」
「子どものことを放ったらかしで親が自分のことしか考えていない」
「親が自分のイライラを子どもにぶつけるから・・」
など、親の養育態度や家庭生活の在り方に対する非難や不満も含まれることがあります。
確かに周りからみていると、もっとこうしてあげた方がいいとか、こんなこともできるのにと思えます。
ところが、大事なことは親に会いに行くときは「親、その人自身と会う」ということです。
親の語りにじっくり耳を傾けていると、親自身のことがじわじわと伝わってくるものです。
もちろん子どものことについて話に行ったり来てもらったりしているのですが、その子どもとの関わりに悩みをもっている親自身と会うことが必要です。
その親に対する非難や不満などの感情が自分の中に起こってきたり、何かアドバイスがしたくなるとすれば、それはおそらく子どもの側に立って親の話を聞いているか、自分の教育観や人生観と照らして聞いてしまっているからでしょう。
聞いている教師にすればそれは当然のことですが、そこに教師は気づいているということが肝要です。
子どもが登校できないとなると、それは親の養育に間違いや足りなさがあったのだろうと家族や周囲の人から見られ、そうなると親自身もすごく辛く苦しいですから、時には登校できない原因を教師のせいだと責めたてたり、友達のせいにしたりというように他者に向けられることも起こってきます。
確かに周りの関わりに明らかな非があったという場合など、原因が他者にあることもありますが、多くの場合、それはそういうふうに他罰的に、他人に責任を転嫁しないと親自身が安定を得られないこともあるからです。
親の「こころ」に添い続けていると、親もその時、その場所で子どもにできることを一生懸命にやってきた様子がだんだんと伝わってくるものです。
親自身の小さい頃のこととか、自分の両親との関わりなどが内省的に語られ、不満や愚痴もこぼせるようになると、子どもへの親の関わりは少しずつ変化してくるようです。
もちろん、担任の教師ひとりで、親の面談も全て抱え込んで会い続けるということは時間的にも心理的にも困難ですから、学校で体制的な条件を備えて「会い続ける」ということが大事であると思われます。