学校で教育相談、生徒指導を担当していると、特に親と面談するとき、「〜したほうがいいのでは」というようなアドバイスや「〜という方法もありますよ」というような助言を親から求められることがあります。
もし、この親の意向に乗って担当者がアドバイスや助言を始めると、親はその後においても「答え」を求めることが多くあります。実際のところ、そのアドバイスでうまくいくことは稀です。
アドバイスや助言、広く言えば解釈も、あくまでそれは一般論であって、どのケースにも当てはまることなど皆無と言っていいほどありません。
個々のケースは子どもの家庭内での状況や学校での子ども同士の関係などで日々刻々と変化するものです。 そして何より好転しなかった場合、本来親自身が抱えるはずであった親の義務とアドバイスした側の責任が明確にならない事態も発生することも考えられます。
聴いていてアドバイスや助言がしたくなったら、そこでそうしたいと思っている自分の感情に気づくことが必要です。
カウンセリングや臨床心理学の本を読み始めたり、研修講座に参加し始めたころは、自分の知っていることをついつい言いたくなり、知識を試してみたくなるものです。
けれども、そこで一踏ん張りして、親のこころを汲み取りながら聴き続けます。
話し手である親が、「どうしてそのような話を今、ここでするんだろう・・」と聴き手は自問自答しながら聴き続けるのです。
親のこころに添いながらこころを汲みとり続けることによって、親は、ともすると自分が溺れてしまいそうになる自身の不安や悩みの中に、自分で足を踏み入れることができるようになります。
がっちりと支えられながら、親が自身の不安や悩みを安心して感じ取り、語ることができ始めると、確実に親も子どもも変化して来ます。
親は子どもに真正面から本気で威厳のある態度で関わることができ、子育てをやり直してみようとする自信を回復していきます。
不安や悩みとうまくつき合うことができるようになったり、それを小さくしたり、引き出しにしまい込んだり、距離を遠ざけたりできるようになるのです。
ここで教師は踏ん張って、ねばり強く関われるかどうかが、今、問われているように思います。カウンセラーの行う心理面接の表面的な真似事ではなく、「甘やかし」でも「放置」でもない、教師にこそできる学校教育相談の在り方が、ここから見えてきます。
そしてまた、ここに単発的な生徒指導から継続的な教育相談へのプロセスが存在するのでしょうし、ここが生徒指導、教育相談の厳しさでもあり、醍醐味なのであると考えられます。