子どもは、どのようなメカニズムによってこころを傷つけたり癒したりしているのでしょうか。人は誰でも自分のこころが傷つかないように、外界からの刺激や圧力に対して「こころの守り」をもっています。
自我(「自分で自分の行動をコントロールする力」)を守るための砦となるものです。
Fig.8に示された図にそって考えてみたいと思います。
図に示された点線は、自身の自我の傷つきを守るための「つっぱり」「ガード」の役目をしています。
こころのなかの自我が、侵入者を防ぎ安定した居心地のよいこころの空間をつくるために外界に向かって張り巡らせた「つっぱり」のようなものです。
これは俗に言う「つっぱり少年」の「つっぱり」と同じ概念のように考えるとわかりやすいと思います。
例えば眉を剃ったり髪を染めたり、ピアスをしたり「つっぱる」ことで、自分の「こころの守り」をしているわけです。外界からの圧力や刺激が加わると、人はまず大抵、この「こころの守り」で傷つきを防御します。何か自分の意にそぐわないことについては無表情を装ったり、強がりを言ってみせたりもします。これは「つっぱり」「ガード」がそうさせているのだと言えます。 |
Fig.8 「こころの守り」 |
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例えば授業中、教師から指名され発言を求められそうになったとき、それに答えられないような場合には、さっと俯いたり、隣の子とおしゃべりをしてはぐらかすというような行為は子どもによく見られますが、これは顔を隠したりおしゃべりをすることによって自我が傷つくことから自分を守っているわけです。
自分の欲求や要求を強く出すことなく守りのガードの中にそれは閉じこめておいて、周りの人に気遣いながら「よい子」として振る舞うというのも、みんなと合わせ、自分の主張をしないことによって自我が傷つくことから自分を守っているのだと言えます。
また、ちょっとしたことでもイライラして何か物に当たり散らしたり、「ムカツク」を連発して自分の怒りや腹立ちを外界に向けることがあります。これも自我の傷つきから自分を守っていると言えるでしょう。
思春期にいわゆる「つっぱり」を始めたり、こういった行為や言動がよくみられるのはこのためだと思われます。
自我が未熟であったり、脆弱であればあるほど、当然「こころの守り」は強固な分厚いものであることが必要であるわけで、自分を本当は弱い存在だと知られたくない、自分は人から認められていない、などのような空虚感や孤独感が強ければ、さらに自我は、大きなエネルギーを常に使いながら、中からつっぱっておかなくてはならないからです。
ところが、「こころの守り」だけでは防ぎきれない強い刺激や圧力が子どものこころに加えられることも当然のことながらあります。 |
Fig.9 「防衛機制」 |
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このとき、子どもは自我のもつ防衛機制(Fig.9)によって傷つきから自分を守ることになります。
よくある例として、自分の非を親や教師に強く咎められたりしたときに、非をごまかしたり言い訳をして何とか逃れようとする「合理化」、実際は自分が相手に向けている感情であるのに、いかにも相手が自分にその感情を向けているかのようにとらえてしまう「投影」などは、自我の防衛機制が働いているものです。
他にも、「逃避」、「退行」、「置き換え」、「抑圧」、「反動形成」、「転換」などは、不登校の子どもによくみられます。自分が傷つかない安全な避難場所としての家庭に「逃避」しているわけですから、子どもは脅かされた自我を防衛機制によって守っているのだと考えられます。
防衛機制について、これ以上ここで詳しく論じることは本ページの趣旨から逸れてしまうので、後は他著に譲りたいと思いますが、子どもが防衛機制によって自分を傷つきから守るとなると、これは先ほどの「こころの守り」で防御していた時よりも、より深いこころのレベルで守っていることになり、これがずっと続くとなると子どもは相当に疲れてしまうわけです。
防衛機制がうまく働いて自我を守ることができなかったり、その限界を超えてしまったときには、いわゆる神経症、心身症などを引き起こすと言えるでしょう。こうなると速やかに心の専門機関や病院の門を叩く必要があります。
Fig.10 「自尊心」 |
そして、それよりもさらに強い刺激や圧力がこころに加わるとなると、もう自我は崩壊してしまいます。自我が崩壊すると、まるでマグマのように地殻(自我)からこころのエネルギーが地表に噴き出し始めます。
このマグマのような、もの凄いパワーをもったドロドロとしたエネルギーが「自尊感情(Self-esteem)<〜だと思っている自分>」です(Fig.10)。
この「〜だと思っている自分」が傷つけられたり脅かされたりすると、自我は為す術もなく崩壊してしまい、重篤な人格障害レベルの症状を引き起こしたり、自殺念慮、自殺企図を引き起こしたりすることもあります。 |
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自我の未熟な思春期、青年期に自殺念慮、自殺企図が多いということは、このように見てくると頷けるものです。
一般に未熟で脆弱な自我であればあるほど、外界からの刺激、圧力に対しての守りの機能としての防衛機制の働きは弱く、その分「傷つき」の度合いも深くなってしまうわけです。
親の「適度な心配」、保護と干渉によって初めて子どもは安心して「自分で自分をコントロールする力」、即ち「自我」を太らせ確かなものにしていけるわけですから、それを阻む子どもへの関わりについて、まずきちんと「診る」ことが親や教師に求められると考えています。