当然のことながら、子どもは誰でも「先生から注目されたい、誉めてもらいたい」「クラスに役立つと認めてもらいたい」という欲求をもっています。
もちろん子どもに限らず大人でも全く同じことが言えるでしょう。
だから、もし「先生は自分のことなんかどうでもいいと思っている」「私なんかいてもいなくても同じ」と感じたときは、欲求の強さに比例するかのように、憎悪の気持ちを抱くはずです。
日ごろから、一人一人の子どもに関心をもっていること、機をとらえたほんのちょっとした言葉かけは地面を潤すシャワーのように、子どものこころを豊かに耕していきます。
子どもに無関心であったり、子どもからのサインやメッセージを受け取らないで気づかずにいることが続くと、大人に対する子どもの不満は積もっていくものと思われます。
また、子どもが反抗の理由としてよく挙げるのは「不公平な扱いを受けた」というものです。
親や教師は同じような対応をしているつもりでも、子どもは敏感に「違い」を察知しています。
何も言わないから、黙っているから、その子どもはそれでいいと思っているとは限りません。
子どもが黙っているから、自分で言わないから、何もしなかった、気づかなかったというのは親や教師の無関心によるものでしょう。
黙っているからこそ、いや、黙っているときこそ、私たちはそこに「こころを使う」べきです。