「どうしようもない困った行動」を「どうしようもない困った奴だ」とその子どもの人格を否定的に理解している場合があります。
周りがどうしようもなく困っているのは、その問題となる「行動」なのであって、それがあたかもその子どもの人格の一部であるようにとらえてしまうことは、子どもの人格を否定してしまっているということです。
「また、おまえか!」というような先入観をもって子どもを観ているような場合も、その子どもの行動と人格を混同してとらえていると言えるでしょう。
さらに説教や叱責のみによってその非を糾そうとすることは、時として子どもを追いつめてしまうだけの結果となり、いっそう説教する側も感情的になり、こういう場合、あらぬことまでついでに叱ってしまうというようなことも起こりがちです。
非なる行為には、厳然として正対することは当然ですが、いかに説教や叱責は正論であっても、子どもの傷ついた感情に追い打ちをかけるようなゆとりのない関わりは避け、抜け道の一つは必ず置いておくことが大事です。