恭仁宮跡(山城国分寺跡)(くにきゅうあと(やましろこくぶんじあと))
所在地 | 木津川市加茂町例幣・河原 |
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指定区分 | 国史跡 |
時代 | 奈良 |
交通 | JR大和路線加茂駅から北へ徒歩約30分 |
関連サイト | http://www.city.kizugawa.lg.jp/vcms/contents.php?id=213 http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/kunikyu.html |
解説
天平12年に聖武天皇が平城京から遷した都です。宮域は大垣で囲まれた東西約560m、南北約750mの長方形で、南東部がやや東に張り出しています。この中に、大極殿院・朝堂院・朝集殿院が南北に並びます。大極殿院の北側には内裏がありますが、他の宮とは異なり、東西ふたつの内裏が並んでいます。
大極殿は平城京から移築されたもので、東西9間(44.7m)、南北4間(19.8m)の大きさでした。廃都後、大極殿の建物は山背(山城)国分寺の金堂として利用され、東方には七重塔が建てられました。これらの基壇は現在も恭仁小学校の北側と東側に残っています。
写真
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地図
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