宇治川太閤堤跡(うじがわたいこうつつみあと)
所在地 | 宇治市莵道丸山・宇治乙方・槇島町大島 |
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指定区分 | 国史跡 |
時代 | 桃山 |
交通 | 京阪宇治線宇治駅から北西へ徒歩約3分 |
関連サイト | http://www.city.uji.kyoto.jp/0000000582.html |
解説
豊臣秀吉によって宇治川の右岸に築造された堤跡です。石を張り、杭を打った護岸や水の勢いを抑えるための水制などがみつかっています。秀吉は、文禄3年(1594)の伏見指月城築城にともなって、宇治橋下流から北西の大池(巨椋池)に幾筋にも分かれて流れ込んでいた宇治川の流路を堤でまとめ、伏見城下に導きました。さらに、宇治橋を撤去して豊後橋(観月橋)を架け、宇治を通っていた大和街道を、小倉堤から豊後橋を経て伏見城下を通るルートに変えることで、伏見城下を水陸交通の十字路としました。この遺跡は、秀吉のこうした治水・交通に関する施策と土木技術を具体的に示す重要な遺跡です。今後、整備が進められる予定です。
写真
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地図
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