「グランドに平安の夢を見た」

(財)京都府埋蔵文化財調査研究センターによる発掘調査     

当ページは、(財)京都府埋蔵文化財調査研究センターの発行による、8月22日に実施された現地説明会用の資料「平安京跡右京一条三坊九・十町」(京埋セ現地説明会資料No.99-07)を元に作成したものです。

 今回の発掘調査  発掘調査の様子  四脚門跡  平安京右京一条三坊九町遺跡 


【今回の発掘調査】

遺跡名称平安京右京一条三坊九・十町遺跡
調査主体(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
調査期間平成10年10月から平成11年8月
調査面積2,700u
   今回の調査は、府立山城高等学校の校舎改築に先立ち、建設予定地であるグランド内で実施されたもので、平安京の条坊では、右京一条三坊九町の南西部と十町の北西部に該当し、調査地は、昭和54年度の発掘調査において、平安京跡右京一条三坊九町遺跡と呼ばれる大規模な邸宅跡(府史跡として保存)が検出され、注目された所です。

 今回の調査結果の発表によると検出された遺構は、
 九   町:四脚門跡・溝・土坑・柱穴
 鷹司小路:道路の側溝
 十   町:溝・掘立柱建物・柵・井戸・柱穴
・鷹司小路推定付近では、9世紀前半頃の土器を含む溝があり、道路の側溝を掘り広げてごみを捨てたものと考えられます。
・十町では9世紀後半から11世紀初頭の建物跡や井戸が見つかりました。

 

【発掘調査の様子】 [PHOTO by 山城高校]

  

  

 

【四脚門(しきゃくもん)跡】

四脚門跡平面図 四脚門の構造

 九町で検出された四脚門跡は、東西1間(約4.5m)、南北2間(約3.6m)で、邸宅中心建物の真南に位置することから、邸宅の正門(南門)と考えられます。邸宅の四脚門跡は、平安京でこれほど明確に検出されたのは今回がはじめてでした。

 上右図のように四脚門は二本の門柱と四本の脚柱から構成される社寺や邸宅の正門で、現存する四脚門の例としては、重要文化財に指定されている東福寺月下門などがあります。今回の門跡では、鷹司小路に接する脚柱二本は後世の攪乱によって一部失われていますが、九町の邸宅の計画性とランクの高さをさらに物語ってくれました。

 

【平安京右京一条三坊九町遺跡】

九町十町遺構 貴族邸の復原

 昭和54・55年度の発掘調査と今回の調査で、九町と十町の遺跡の概要が確認されました。九町からは日本ではじめて発掘された寝殿造の原型とされる建物遺跡が発見され、その寝殿の真南に正門と言える四脚門が発見されました。

 この邸宅の所有者については、学問的に確定することは不可能なのですが、昭和53年3月京都府教育委員会発行の『埋蔵文化財発掘調査既報(1980−3)』や平成6年3月発行の『校庭に平安の夢を見た〜山城高校平安時代邸宅遺跡の研究〜』(編集・執筆 京都府立山城高等学校 歴史部)によると、以下のような人々が推定されています。

 右大臣正三位藤原継縄(ふじわらのつぐただ)
 大納言正三位藤原小黒麻呂(ふじわらのおぐろまろ)
 中納言正三位紀古佐美(きのこさみ)
 中納言従三位神王(みわおう)
 中納言従三位壱志濃王(いちしのおう)
 尚侍 従三位百済王明信(くだらのこにきしみょうしん)


 

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