親や教師に対する子どもの「反抗」は、一般に困ったことと認識されますが、別の見方をすれば、子どものこころの成長としてとらえることもできます。 前回の「虐待」に続いて、今回は「反抗」について取り上げます。 「反抗」する子どもへの対応として、親や教師は、次の四つのようなことが大事であると考えられます。 |
甘えてくる子どもには、できる範囲で十分に「甘えさせる」ことが必要です。 しかし「甘やかす」ということは、子どもが他者へ無理な要求を突きつけたり、他の子どもに迷惑を及ぼすような行為をしたときに、それを許してしまったり、無関心を装ったりしていることです。 その時に過ちをきちんと指摘することは、子どもにとってたいへん大きな意味をもちます。「甘えさせる」ことは、子どもの確かな自立につながりますが、「甘やかす」ことは子どもの荒れを引き起こすことにもなり、子どもの健全な成長を妨げるものです。 |
「どうしようもない困った行動」を「どうしようもない困った奴だ」と、その子どもの人格の一部であるかのように否定的に理解していることがあります。 説教や叱責のみによってその非を糾そうとすることは、時として子どもを追いつめてしまうだけの結果となり、説教する側もいっそう感情的になり、あらぬことまでついでに叱ってしまうというようなことも起こりがちです。 子どもの傷ついた感情に追い打ちをかけるようなゆとり のないかかわりは避け、「抜け道」のひとつは必ず置い ておくことが大事です。 |
子どもは誰でも「先生から注目されたい」「認めてもらいたい」という欲求をもっています。 もし「先生は自分のことなんかどうでもいいと思っている」「私なんかいてもいなくても同じ」と子どもが感じたときは、欲求の強さに比例するかのように、憎悪の気持ちを抱きます。 子どもが黙っているから、何も言わないから、何もし なかった、気付かなかったというのは親や教師の無関心 によるものかもしれません。黙っているときこそ、親や 教師は子どもに「こころを使う」べきです。 |
親や教師はルールとして与えなければならないことを「本気で伝える」という努力を惜しんではならないと思います。 親や教師のどのような言動であっても、子どもが「愛されている」「必要とされている」と感じられる温かな思いが根底にある限り、子どもが自立するための健全な「反抗心」は暴力や非行などにつながるとは思えません。 |