あるがままのこころの表出
 側にいる大人が、子どものメッセージを正面から本気で受け止める努力をしながら関わっていくと、子どもは、自分の中にある様々な気持ちに気づき、その気持ちにしっかり向き合うことができるようになります。
 
 親も、一時の感情に自分が支配されたり振り回されたりすることは少なくなり、親の思いを子どもに強く投げかけることをしないで済むようになります。

 そうすると、子どものあるがままのこころの表出を受け取められる可能性がそこに生まれ、子どもは安心して自分の様々な、ときには激しい拒絶など荒々しくむき出しの感情も出すことができるようになります。

 日々起こるさまざまな出来事を、その表面に現れた結果としてではなく、その子なりにじっくりと体験できるようになります。そこで味わった感情を周りの大人が理解し、それを共有する、その繰り返しが子どものこころの土台を豊かに積み上げていくことになると考えられます。

 子どものメッセージを正面から本気で受け止める努力というと、何かムキになって一生懸命に大人が子どもと話し合うような窮屈な感じなものではなく、それは、例えば一緒に映画やビデオなどを観てもいい、同じ本を読んでもいい、卓球などのスポーツに一緒に興じてもいい、その体験から起こる溌剌としたあるがままのこころの表出を正面から本気で受け止めることが大事だと思われます。


 ある登校しぶりの子どもは、小学校2年生になって「朝のランニングがイヤ」「がんばろうとか、そういうのがイヤ」と周囲から望まれ期待される自己像を激しく退けた後、再登校を果たしました。
 この子どもは「拒否」というアイテムを獲得したと言えます。「自立と自己意識化は否を言うことから始まる」(Neumann,E *2)と言われますが、この子どもは、これによって場にかなった自己表現の仕方を学ぶことができ、登校しぶりを克服したのです。
 
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