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平成25年度 卒業証書授与式
2014年2月28日
卒業生の皆さんの前途に幸多からんことを願っています!

校長 式辞

卒業証書授与(食品科学科)

卒業証書授与(普通科)

来賓を代表し、京丹波町長様から御祝詞をいただきました。

在校生代表 送辞

卒業生代表 答辞
 卒業生より学校に記念品が贈られました PTAから卒業生に記念品が贈られました
同窓会から卒業生に記念品が贈られました 3年担任団あいさつ

   
1組 2組   3組
 卒業式に向け、1・2年生が教室飾り用の花と卒業生が胸につけるコサージュを作成しました。
 
平成25年度 校長式辞(一部抜粋)  
卒業生の皆さん、卒業おめでとう。
 今、晴れて手にした卒業証書は、皆さんが、3年間にわたり、勉学、部活動などに励み、さまざまな困難を乗り越え、見事ゴールに到達した「証」であります。皆さんも、本校での3年間を振り返り、さまざまなことがよみがえり、感無量のことと思います。私達教職員には、皆さんが、明るく須高生としての誇りを持って、学び活動する姿が目に浮かんできます。

 思い返しますと、皆さんが本校に入学した平成23年4月は、その前月に発生した東日本大震災の直後で、震災の生々しい傷跡が残り、日本国中がそのショックから抜けだせない頃でした。
 そうした中でスタートした高校生活は、東日本大震災と向き合うことから始まらざるをえませんでした。いち早く取り組んだ義援金活動は、今も後輩に引き継がれ、毎月11日に続けられています。その義援金を元に、須知高校らしさをいかし、クッキーやヨーグルトなどの加工品、スポーツ少年団と育てたジャガイモ、地元3中学校と共に取り組んだ黄色いハンカチなど、友好町の福島県双葉町へ送り続ける3年間でした。また、福島県相馬農業高校との交流にも取り組み、「福京野馬追いサラミ」の共同開発などを通じて、共に学び励まし合うことをすすめてきました。
 このように、皆さんが、千年に一度ともいわれる大震災に、須知高校生として、真摯に向き合いつづけた姿を誇りに思います。小さな力でも、合わせること、続けることで、確かな手応えが得られることを学んだことと思います。また高校生のささやかな取組であっても、多くの人を勇気づけられることも実感したことでしょう。これらは、この3年間の高校生活での得難い経験といえます。
 また、本校はこの2年間、「リスタ須知」を掲げた新たな学校づくりに取り組んできました。皆さんは、そのさきがけとして、「リスタ須知」にふさわしい出発点を築いてくれました。より高いものをめざし、各種のコンテストに挑戦し、多くの賞賛を受けました。 また、地域と共に歩む学校をめざし、京丹波町の「食の祭典」と共に取り組んだ収穫感謝祭では、「ふるさと弁当」や「炎のピザ」などに挑戦し、かつてない多くの皆様に来校していただき、数々の激励をいただくことができました。地域の企業と連携した「ふるさとアイス」や「長老サラミ」の開発など新たな試みも進めてきました。その結果、農業クラブ京都府連盟大会では、プロジェクト発表や意見発表の4つの部門で優秀賞に輝くこともできました。普通科でも、「地域資源利活用デザイン事業」で、地元商工会や企業と連携して斬新な発想での地域活性化を提案してくれました。また京丹波の伝統文化「和知太鼓」やケーブルテレビのキャスターに挑戦してくれたのも皆さんでした。
 部活動では、男子ホッケー部が、昨年度末に10年ぶりに全国選抜大会出場を果たし、続く女子ホッケー部全国選抜大会出場の基盤となりました。野球部でも、夏の大会で3回戦まで勝ち進み、春の選抜出場校と堂々とした戦いを展開し、女子バレー部が口丹優勝を果たすなど、文字通り「リスタ須知」にふさわしく、新たな峰を築いてくれました。これらの成果を、在校生と共にしっかり受け継いでいきたいと思います。
 卒業生の皆さん、これから皆さんが生きる日本の前途は、さらなる激動と困難が待ち受けています。そうした時代を生きる皆さんに、困難を乗り越え果敢に生きた先人を紹介して、餞とします。
 紹介したい先人は、1827年、アメリカの地で生まれました。日本では、時代が大きく動き出そうとしていた幕末期にあたります。ただ、出生地や若い頃の詳しい経歴などは残念ながら定かでありません。歴史上、記録に名を現すのは、1873年、明治6年3月のことです。はるばる太平洋を渡って、日本にやって来たのです。この人を日本に呼び寄せたのは、ようやく始まりかけた近代農牧業が大きな試練に直面していたことによります。当時京都では、日本初の官営牧畜場が岡崎の地に開かれていましたが、リンデルペストと呼ばれる家畜伝染病が発生し、危機的状況に陥っていました。これに対処できる人物として、京都府が急遽招いたのでした。この時に47歳だと言われています。
 ここまで話をいたしますと、この人が、誰であるが多くの方はお気づきのことだと思います。この先人とは、本校の前身であります京都府農牧学校を拓いたジェームス・オースチン・ウィード先生です。京都にやって来たウィード先生は、早速、獣医師としての手腕を生かし家畜伝染病の防止に力を発揮し、全国的にも注目される存在となりました。
 その後も、牧畜場で、農牧業の講義を始め、特に牧畜分野では、牛や羊の飼育法、家畜の診察治療法、牛乳採取法など幅広い分野に及んでいます。さらには、蔬菜の栽培、牛や羊の飼育と繁殖、乳製品の加工など実践的な指導にもあたるなど、極めて優れた農学者、獣医師、農牧業の実践家として活躍をしています。
 さらに、ウィード先生は、農牧業の本格的な発展を目指し、岡崎にあった京都牧畜場を、この京丹波の地に移し、荒蕪地であった蒲生野ヶ原を、日本農牧業の開発モデルとする壮大な計画に取りかかりました。早速、農学生数十名を率いて、この地に移ってきたウィード先生は、黙々と汗を流し、わずか3年あまりで41万3200uを開拓し、蒲生野ヶ原を今日の姿に変えました。また、先生は、日本の農牧業の発展のためには、何よりも人づくりが必要と考え、農牧学校の開設に取りかかります。こうして、明治9年11月、京都府農牧学校が、この地に開校したのでした。その開校式には、時の京都府知事槇村正直も出席したと伝えられています。農牧学校の開校が、いかに重要な施策であったがが伺われます。皆さんのウィード研究班により、開校式でのウィード先生の祝辞が昨年度発見されました。その祝辞の一節には、「聞く、日本においては、当蒲生野の如き原野広漠の地、数多くありと。今、吾輩働作する所の開墾、例規(モデル)となり、人民皆これにならいて、これらの原野も尽く開墾耕耘するに至らば、すなわち幾多の家屋に富財幸福を与ふるのみならず、数万の人民に広益多き作用を付与するものなり。この如く吾輩の働作は、日本に大いなる進歩を与うるものなれば、汝ら幸いに之れを輔弼奨励あらば、この地の人民、この日を祝する必ず遠きに非ざるべし。」と、京都府農牧学校にかける崇高な理念と決意の高さが伝わってきます。
 明治6年3月、彗星のごとく現れ、日本を去る明治12年4月までの6年余りの間に、数々の事業に精力的に取り組み大きな業績をあげたのでした。今日、この京丹波の地が「食の宝庫」とよばれていますが、このウィード先生の存在を抜きに語ることはできません。ウィード先生は、須知高校の父として、京都とりわけ京丹波発展の恩人として、また日本の農牧業の先駆けとして数々の足跡を残して日本を去ったのでした。139年という時空を超えてウィード先生のメッセージが、私たちに届けられたのも偶然とは思えません。
 時あたかも平成25年には、NHKの大河ドラマ「八重の桜」が放映されました。このドラマは、本校との関わりが深い作品でもありました。というのも、主人公の新島八重は、兄の山本覚馬、夫であり同志社の創設者である新島襄と共に、京都府農牧学校の設立期に深く関わっていたからです。そのことを裏付ける資料が、今も同志社大学に残されています。それは、新島襄とクラーク博士が、ウィード帰国後の教員選任に関して交わした二通の書簡です。「八重の桜」放映を機に、改めてその書簡を確認させていただき、画像の提供も受けることができました。昨年度のウィード先生の京都府農牧学校開業式祝辞の発見に続き、京都府農牧学校の実像に迫り、その歴史的意義を実感できる機会となりました。
 長い紹介になりましたが、このウィード先生の足跡をふり返るとき、先生の志の高さに注目しなければなりません。日本が、近代国家をめざして歩み出そうとしていた明治の初年に、海を越え遙か異境の地であるこの蒲生野ヶ原に身をゆだね、日本の農牧業の発展を夢見て懸命に取り組んだフロンティア精神に、今を生きる私たちも学ばねばなりません。
 言い換えるなら、より高いものに挑戦し続ける志、その実現にむけて飽くなき努力を続ける姿勢。そして、その志は、自らを高め、社会への貢献をめざす気高いものでもあります。
 このように懸命に取り組んだウィード先生の努力によって、今日の須知高校が存在し、京丹波町の発展の礎が築かれたことを忘れてはなりません。ウィード先生を、母校と郷土の誇りとして語り継ぎたいものです。
 今、日本は、厳しくかつ難しい時を迎えています。しかし、厳しいときこそ、人は育つと言います。春に咲き出す花々も、厳しい寒さを経験し、その厳しさに耐えたものだけが花を開かせることができるといいます。
 卒業生の皆さん、校歌の教えるごとく「世紀はまさに我等を待てり」。須知高校で学び身につけたウィード先生のフロンティア精神をしっかり胸に刻み誇りを持って、自らの進路と日本の将来を力強く切り拓いてくれることを心から期待しています。
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