平成10年度全商大会 全体会講演(報告)

報告 北野康子(府立商業)


全体会において、下記のようなテーマで基調講演がありました。その要旨を報告します。

「学校教育における職業教育の意義」
日本商工会議所業務部長 岩口 縣一氏

○ 職業教育の意味・意義

<学校と企業の認識の違いについて>
 学校の職業教育では技能、知識をつけることが中心となっているが、企業としては、どれだけ勤労意欲を持ってきたかを重視している。知識や技能がなくてもヤル気があればよい。技能の習得は入社後に行う。

<生涯設計を持って入社を>
 新入社員教育の3日〜1週間で、その子の数10年後は見える。自分は何ができて、この会社で何をしたいかという認識を持っている子は、仕事ができる。それがない者は、上からの指示がなければ何もしない。自分は何をしたいかという意識を持たせてほしい。

○ 社会人として必要な能力・資質

<成績が良い」と「頭が良い」の違いについて>
 成績が良い」=指示されたことはソツなくきちんとできる。学校時代は言うことをよく聞くいわゆる「いい子」。しかし言われたことしかできない。これでは通用しない。
「昨年もこうだったから こうした」という仕事のやり方は短時間でうまくこなせるが、単なる"作業=オペレーション"でしかない。 
 「頭が良い」=自分で仕事を開発、提案していける。これでいいのか、こうすればどうかと問題意識を常にぶつけてくる。従来どおりで 
はなく「新しく創造した」というやり方が"仕事=ビジネス"である。必要なのは提案できる力。
 
○ 資格に対する企業の認識

<人事考課の変化> 
 資格が有利な時代は終わった。就職の段階で資格優先することはしない。資格を活用してどんな仕事をするかが大切。学歴や資格が入社後の給料に反映することもほとんどない。簿記の2級や1級を持っていても財務分析ができないなら無意味。

<ワープロ・パソコンはただのツール>
 それを使って何をするのかが大切。メモや口頭でヒントを与えただけで、どこの何のデータをどの様に処理すればいいか、そこから問題分析できる人材が欲しい。現在では40〜50代の人でもワープロやパソコンは使える。一から十まで指示して清書するだけの仕事なら自分でやったほうが早い。

<目標と手段>
 資格取得は過程であり手段。検定が最終目標ではいけない。学校ではそのような風潮が多々見られるのではないか。時々、「資格を取ったのになぜ評価してくれないのか」という者がいる。評価するのはその資格でどんな仕事をするかという個人の能力。
"金太郎アメ"的な人間は不要。どの会社にも共通しているのは、考える力を必要としていること。

○ 学校教育に期待すること

<企業から見て学校に一番欠けていること>
 勤労意識(働くことはどういうことか)と生涯設計(どういう人間になりたいか)についての教育ではないか。今回の改定で取り上げられた"インターンシップ"について、企業や社会で学び体験することが必要なのは、まず教師からではないか。
 また、"考える"ことをさせていないのではないか。 商工会議所としてもその責任があるとの反省で、検定試験のあり方として、2級以上は"考える"ことができなければ合格しないものへ転換することを構想中。

<進路指導と社会教育について>
 親の指導は期待できない。なぜなら「いい会社へ」の意識過剰で客観的な判断でない。
卒業後、入社後、独り立ちしたときにやっていけるかを判断してほしい。学校での「いい子」ではやっていけない。
 現在の教育では、「成績が良ければ大学へ」と、中学段階で夢を壊している。真に希望に応じた進路指導を商業高校や工業高校が果たせるようにしてもらいたい。そこで不適切ならやり直せるような柔軟さも必要。まだまだ環境が整わない現状、せめて教師が影響を与えられる範囲だけでも意識改革をさせていってもらいたい。

 以上が講演の概略です。企業側の視点として、かなり耳の痛い内容も歯切れ良く話をされ、「従来どおり」では通用しない、という点が非常に印象に残りました。