旧教職員より
今改めて、創立十周年の思い出を書くように言われてみると、自分が
教師として大変希有な好運な経験をしてきたことに気がつく。竹藪の中
に忽然として現れた全く新しい学校に勤務し、十年間の発展とその変還
を直接に見、聞き、体験することができたわけであるから。
その日、教育庁の建物の正面にある、正庁という古き良き時代の趣の
ある一室で辞令を受け取った。その日に初めて北村校長初め上司・同僚
となる先生方にお目にかかった。北村先生はその日我々に、教師たるも
のは、高校生が興味を持つほどのことには、自らも関心を示せという趣
旨の話をされた。メモがないので後は忘れてしまったが、その部分だけ
は叱られているような気がし、緊張して聞いたのを覚えている。どの先
生も張り切っておられた。ご自分の与えられた責任に対して夢を語り、
構想を話された。それはそうだろう。全く新しい学校の建設に自ら参加
する機会を与えられたのだから。今思い出してもまぶしいような日々で
あった。
しかし、翌日からの仕事は理想でも夢でも建設でもない、ただの作業
であった。工事の廃材を集めて燃やし、運ばれてきた机や椅子を搬入し、
長靴や裸足で床を磨く毎日であった。身体は痛んだが楽しかった。何よ
り自由があった。校舎から桃山城も、京都タワーも一望のもとで見渡せ
るほど空間的にも広々としていたが、心理的な自由感は圧倒的であった。
職員会議など必要なかった。コミュニケーションは十分だった。全職員
を集めても今の一学年の担任の数程度、全校の生徒を昇降口に集めてオ
リエンテーションができた。アットホームとはこういう事を指すのだろ
う。すべての職員がその経験や実績や力量は別にしても、同じ前提で同
じ土俵の上に立ち、同じ参加の意識を持てることは素晴らしかった。校
長も新採もなかった。デモクラシーとはあのようなものかと言えば大げ
さか?
気持ちの上での自由さの反面、具体的な仕事となるとまったくの手探
りであった。教務にいたが、どうするのがいいのかわからない。とりあ
えずこうしておこう。悪かったら変えたらよい。そのくらいの気持ちで
始めたこともあったが、翌年にはそれが小さな伝統になっていた。
あれから十年、当時の写真をたまたま見た生徒から、先生、昔はもっ
と髪の毛が多かったねと言われるようになってしまった。この間、多く
の先生方が南八幡高校へ赴任し大きな仕事、困難な仕事をしてまた去っ
ていかれた。十周年を機にお目にかかり、当時の話をし、お世話になっ
たお礼を言いたいものだ。
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