母校への思いを馳せる
日本鯨類研究所 西脇 茂利 様
京都府立水産高等学校 第27期生(昭和50年卒業)
水にまつわる生き物の勉強がしたくて、京都府立水産高校漁業科へ入学しました。卒業して10年後、南氷洋での鯨類研究に携わるとは考えもしませんでした。当時は、来たくもない水産高校へ入ってきた連中が大勢を占めている中で、少数が水産の道を進むという環境でした。ただ、研究者としての素地は、高校生活の3年間で培われたと考えます。とにかく、学問は自由であるということが体に浸透していった時期だと思います。もし、普通科に入って大学に入ったなら研究者の道に進まなかったと確信しています。
お世辞にも優秀な生徒であったかというとそうではなかったと自覚しています。当時を知る方が海洋高校にもおられるので、異論はないでしょう。職業学校の特性から、教科書だけを理解しがたいことが多く、おのずと先生の教え方も独特で、ルドルフ・シュタイナーの自由学校の趣がありました。少ないながらも篤く漁業に携わる人間を育てたように思います。
研究者も十人十色ですが、好奇心が必要条件です。私はフィールドワーカーですから、四六時中、自然環境の中で研究しないと息が切れてしまいます。3年間、漁業科で学んだ経験が、実践の研究に役立ちます。脳力も?体力であると吹聴しています。研究者としの骨格は水産高校で形成され、10年間に脳力という体力をつけて南氷洋での鯨類生態研究に入っていくわけですが、骨格がしっかりしていないと長年の研究に耐えていけません。クジラは捨てるところがありません。高校教育も無駄な科目も実習もありません。誰もが研究者をめざす必要はありませんが、人間として好奇心をもって生きて行くことが必要だと考えます。その好奇心を育む必要条件として、練習船や実習施設を通じた職業教育が重要と考えます。
入学式と卒業式の祝辞に、「校門の前に道を辿っても本州止まりだが、栗田湾から世界の海に通じる。」というフレーズをいただきました。私は、南氷洋にまで逍遥してしまいました。海洋高校の特殊性を活かした教育によって、地球を闊歩してくれる後輩達に出会いたいものです。